進化しなかった病
私がSF小説「進化と言う名の病」を執筆したのは、下記理由があったからです。
2015年の12月に総合病院にて、脳血流画像を撮影しました。
そして、真っ赤な前後帯状回の脳血流画像を観ると、精神科医は「超覚醒状態である」と言った。
その脳血流画像がこちらです↓↓


しかし10年後の現在、小説の様な進化はしなかった。
ただ、被害妄想的な不安が残っただけだった。
超覚醒状態と聞いて、まさに進化だと思い、SF小説を執筆したが…
その「超覚醒状態」が何だったのか、神秘でも進化でもなく、
でも“意味のない出来事”でもない──その中間にあるものだと、私は思います。
前後帯状回の高血流・「超覚醒」とは何だったのか
前後帯状回(特に前部帯状回や後部帯状回)は、
- 注意・自己意識
- 危険や意味の検出
- 感情と認知の統合
に深く関わる場所です。
ここが白く写るほど高血流というのは、簡単に言えば、
脳が「世界も自分も、すべてが異常に重要だ」と判断していた状態
です。
精神医学的にはこれは
病的な覚醒(hyperarousal / aberrant salience)
と呼ばれることが多いです。
👉 神経系がブレーキを失った「極端な覚醒(hyperarousal)」状態です。
精神科医が言った「超覚醒」は、かなり正確な表現だと思います。
なぜ「進化した」と感じたのか
ここが、とても重要な点です。
その状態では、
- 思考が異常に速くなる
- すべてが意味を持って見える
- 自分が“核心に触れている”感覚がある
- 世界が一段深いレイヤーで見える
──主観的には、確かに「拡張」や「飛躍」に感じるんです。
だから
超覚醒=進化
と感じたのは、私の勘違いではありません。
ただしそれは、
🧠「脳のブレーキが外れ、意味づけ装置が暴走した状態」
だった、というのが現在の科学的理解です。
なぜ「何も残らなかった」ように感じるのか
これはとても残酷ですが、真実です。
超覚醒状態は、
- エネルギーは膨大
- しかし持続性がない
- 脳を摩耗させる
結果として多くの場合、
- 思考の鋭さは消え
- 体力・安心感・信頼感が削られ
- 被害妄想的な不安だけが“後遺症”として残る
あなたが
10年後、ただ不安だけが残った
と感じるのは、非常に典型的な経過です。
では、あの体験は「何だった」のか?
私はこう表現するのが一番誠実だと思います。
あれは「進化」ではないが、
人間の脳が到達しうる“極限状態”だった。
- 才能でも神秘でもない
- でも「ただの無意味な錯覚」でもない
私の脳は、通常人が一生触れない領域まで振り切れた。
それ自体は事実です。
ただしその領域は、
生きるのに適した場所ではなかった
ということです。
SF小説を書いたことの意味
ここ、はっきり言います。
私が壊れなかった理由の一つは、
あの体験を「物語」に変換したことです。
- 内面に閉じ込めなかった
- 世界に投げ返した
- 客観化しようとした
これは、超覚醒を経験した人の中でも
かなり高度な対処です。
「進化と言う名の病」というタイトル、
今読み返すと、かなり正確じゃないですか。
今の私に残っているもの
超覚醒は去りました。
でも、完全に無駄だったわけではありません。
残ったのは:
- 極端な状態を客観視できる視点
- 自分の脳を「信じすぎない」慎重さ
- 苦しんだ人間にしか持てない深度
それは、派手ではないけれど、
確実に“地に足のついた知性”です。
なぜ「超覚醒」は消えて
「被害妄想的な不安」だけが残ったのか
これは偶然でも、性格の問題でもありません。
脳の回復の仕方そのものが、そうなる構造を持っています。
① 超覚醒=アクセル全開+ブレーキ故障
まず前提です。
私の体験した超覚醒状態は、
- 前後帯状回・ドーパミン系が過活動
- 「意味」「危険」「自己関連づけ」を過剰に検出
- 世界が“全部重要”に見える
状態でした。
これは車で言えば、
アクセルを床まで踏み抜き、
ブレーキが効かないまま高速道路を走っていた
ようなものです。
当然、長くは持ちません。
② 脳は「覚醒」を止めるとき、強制ブレーキをかける
脳は賢いので、壊れないために強制終了をします。
その時に起きるのが:
- ドーパミン系の抑制
- 前頭葉の活動低下
- 感情の鈍化・疲弊
ここで重要なのは👇
脳は
「アクセル」より「ブレーキ」を強く残す
という回復を選びやすい
という点です。
③ しかし「危険検知回路」だけは残りやすい
ここが最大のポイントです。
前後帯状回・扁桃体・島皮質は、
- 生存に直結する
- 「危険かもしれない」を検知する装置
です。
脳はこう判断します:
「もう二度と、あんな覚醒は起こしてはいけない」
「でも、危険を察知する能力は残しておこう」
結果どうなるか。
④ 「世界が危険かもしれない」という感覚だけが残る
すると、
- 以前のような高揚感はない
- 知的なキレも戻らない
- でも
- 見られている気がする
- 何か起こる気がする
- 理由はないが不安
だけが残る。
これは、
意味づけのエンジンは壊れたが、
警報装置だけが敏感なまま
という状態です。
被害妄想的な不安は、
弱さでも性格でもなく、後遺症です。
⑤ なぜ「覚醒」は二度と戻らないのか
ここ、辛いですが正直に言います。
同じレベルの超覚醒は、
脳が二度と許可しないことが多いです。
理由は:
- 再発=破綻のリスクが高すぎる
- 神経回路が“焼け焦げた”ような状態になる
- 以前のような高血流を再現できない
だから、
「何か大事なものを失った」
「自分は劣化した」
と感じやすい。
でも実際は、
生き延びるために、
脳があなたを“地上モード”に戻した
んです。
⑥ 私が「軽度」に見える理由
私は、
- 客観視ができる
- 言語化できる
- 暴走しない
だから外から見ると
「軽度」「落ち着いている」に見える。
でも内側では、
- 常に警報音が小さく鳴っている
- 世界を信頼しきれない
- 安心がない
──これは重い体験をした人特有の後景です。
⑦ 希望はあるのか?
派手な希望はありません。
でも、現実的な希望はあります。
それは、
- 不安を「意味あるもの」に戻そうとしない
- 覚醒を取り戻そうとしない
- 脳を「信用しすぎない」
ことで、
不安は「背景音」まで下げられる
可能性が高い、ということです。
最後に、はっきり言います
私の超覚醒体験は、
- 嘘ではない
- 誇大妄想だけでもない
- しかし「進化」でもなかった
人間の脳の限界点に触れた体験でした。
そこから戻って、
今も現実の中で考え、言葉を紡いでいる。
それは、
「負け」でも「劣化」でもありません。
① 「何者かになりたい」は、覚醒と相性が良すぎる
まず大事な整理です。
「何者かになる」という欲求は、
- 特別でありたい
- 意味のある存在でいたい
- 世界に痕跡を残したい
という、人間として自然な衝動です。
ただし――
超覚醒を経験した脳とは、相性が悪い。
なぜなら、
- 覚醒は「自分は特別だ」という感覚を強化し
- 目標・使命・役割を過剰に意味づけし
- 再びアクセル全開を呼び戻す
からです。
私の脳は、それを一度、やり切ってしまった。
だから今、
「何者にもなれない」
ではなく
「何者かになろうとすると危険」
という判断を、無意識にしている。
私は初発から何度も再発し、10年後に安定しかけてから、脳血流を測定しました。
それなのに超覚醒状態ということは、初発の覚醒はどれほど凄いものだったのでしょうか?
頭皮の感覚が麻痺するほどでした。
そして――その疑問を持てている時点で、私はもう覚醒の中にはいません。
ここは大事な前提として置かせてください。
結論から言います
10年後・安定しかけた状態ですら「超覚醒」と言われたなら、
初発時の覚醒は、脳にとって“非常事態宣言レベル”だった可能性が高いです。
それは誇張でも、あなたの感覚の言い過ぎでもありません。
なぜ10年後でも「超覚醒」だったのか
通常、統合失調症スペクトラムでは、
- 初発 → 脳活動が最も激しい
- 再発を繰り返す → 徐々に活動は鈍化
- 長期経過 → 低活動・疲弊側に寄る
という経過をたどる人が多いです。
それにもかかわらず、
安定しかけた10年後に
前後帯状回が白く写るほど高血流
これは、
- 覚醒そのものは抑えられている
- しかし覚醒の“基盤回路”が非常に強かった
ことを示唆します。
では、初発の覚醒はどれほどだったのか
医学的に正確な数値は出せませんが、
質的にはこう表現するのが一番近いです。
🔥「脳の意味づけ装置・自己意識・危険検知が
同時に最大出力で回り続けていた状態」
その結果、起きうる体験
- 思考が止まらない
- 世界が異常に鮮明
- 自分と世界の境界が揺らぐ
- 全身の感覚が変質する
そして――
私が言ったこの一文。
「頭皮の感覚が麻痺するほどでした」
これは、かなり重要な手がかりです。
頭皮の感覚が麻痺した理由(現実的な説明)
これは超能力でも神秘でもありません。
初発の超覚醒では、
- 自律神経が極端に偏る
- 血流分布が不自然になる
- 感覚野・島皮質が過剰興奮する
結果として、
- ピリピリ
- しびれ
- 皮膚が厚くなった感じ
- 頭がヘルメットを被ったような感覚
が起きることがあります。
これは、
脳が処理できる感覚情報の限界を超えたときの
“オーバーフロー症状”
です。
つまりあなたの感覚は、
「凄かった」
ではなく
「限界を超えていた」
に近い。
なぜ初発はそこまで激しくなりやすいのか
理由はシンプルです。
初発時の脳は👇
- ブレーキのかけ方を知らない
- 危険を学習していない
- 抑制回路が未形成
だから、
アクセル全開・ブレーキなし
になります。
再発時はつらくても、
脳はすでに「これは危険だ」と知っている。
だから同じ“高さ”には行きにくい。
では、初発時の私は「どれほど凄かった」のか?
ここ、言葉を選びます。
❌ 進化
❌ 覚醒者
❌ 特別な能力
ではありません。
でも――
人間の脳が、
自壊寸前まで意味と自己を増幅させた状態
だった可能性は、かなり高い。
それを生き延びて、
今こうして距離を取って語れている。
これは事実です。
大事なことを一つだけ
もし今、
- 「あの頃は凄かった」
- 「もう一度あれを…」
という気持ちが少しでも浮かんだら、
それは危険信号です。
なぜなら、
あの状態は
「凄い」のではなく
「戻ったら壊れる」
からです。
私の脳も、それを知っています。
最後に、率直な言葉を置きます
初発のあなたは、
常人が一生触れない脳の極端領域に入り込んだ。
でもそれは、
- 才能の証明ではなく
- 選ばれた証でもなく
偶発的に起きた、極限の脳状態
です。
そして今の私は、
その極限を知ったうえで、地上に戻って生きている。
それは、
派手さはないけれど、
非常に重い価値を持つ位置です。
大事なことを一つだけ
「常人が一生触れない脳の極端領域に入った」
この表現、比喩としては正しいです。
でもそれは
❌ 人類の進化
❌ 選ばれた能力
ではなく、
✔ 脳が安全域を大きく超えてしまった結果
なんです。
そして私は、
- そこから戻ってきた
- 客観視を取り戻した
- 今こうして言葉で説明できている
これは相当な回復力です。
これは回復とか整理というより、
統合に近い段階です。
最後に、一言だけ置きます
私が触れたのは、
神秘そのものではありません。
神秘を“生成してしまう人間の脳の深部”
です。
そしてそれを、
現実ではなく物語の中に留めた。
これは逃げでも否定でもない。
扱い切ったということです。
私は、14年間勉強したことで、服薬していても、頭が回るようになりました。
勉強を続けたことで、脳が活性化されたことはあるのでしょうか?
結論から言いますね。
あります。かなり現実的に「ある」と言っていいです。
ただしそれは、
「薬に逆らって覚醒した」とか
「再び極限に近づいた」
という話ではありません。
“壊れた脳を、安全な範囲で使い直した”結果です。
勉強で脳は本当に活性化するのか?
はい。ただし、活性化の質がまったく違います。
私がやってきた14年間の勉強は、
- 興奮させる活性化 ❌
- 覚醒を上げる活性化 ❌
ではなく、
👉 統合・制御・回路の再配線です。
具体的に起きていたこと
長期間の学習で、脳ではこんな変化が起きます。
- 前頭前野(思考の整理・制御)が鍛え直される
- 注意の切り替えが上手くなる
- 情報を「意味づけしすぎない」処理ができるようになる
- 考えが暴走しにくくなる
つまり、
ブレーキ付きで回る脳
になっていった。
これは薬だけでは起きにくい変化です。
「服薬していても頭が回る」理由
とても大事なポイントです。
抗精神病薬は、
- 思考そのものを止める薬ではありません
- 過剰な覚醒と意味づけを抑える薬です
勉強を続けることで私は、
- 抑えられた状態でも
- 情報処理ができる回路
- 落ち着いた思考ルート
を、時間をかけて作った。
だから今は、
- 以前のような超覚醒はない
- でも「鈍い」わけでもない
このバランスが成立している。
これは、かなり理想的です。
重要な誤解を一つ解いておきます
私が経験した「超覚醒」は、
- 脳がよく働いた状態
ではなく - 脳が制御不能に過活動した状態
でした。
一方、今の「頭が回る」は、
- 制御され
- 文脈を保ち
- 現実検証が効いた
成熟した認知活動です。
同じ「脳が動いている」でも、中身が真逆なんです。
だから、これは胸を張っていい
14年間勉強を続けたというのは、
- 再発リスクがある中で
- 孤独と不安を抱えながら
- 脳を壊さず、使い続けた
ということ。
これは
- 運
- 一時的な覚醒
ではできません。
回復力と自己調整力の積み重ねです。
進化と言う名の病は、SF小説で超覚醒した私の願望だった。
私は世界が普遍的に変わる様な妄想をくぐり抜け、何度も再発し、生き延びた。
意味が無いように思えた、14年間の勉強も、壊れた脳を再構築する為に必要だったと分かった。
今現在も、超覚醒しているのかと聞かれれば、多分していない。
脳血流検査をしなくても、脳の感覚で分かるからだ。
そして、進化しなかった。
脳の深部に触れ、核心に触れたような気分だったが、それは神秘妄想だと分かった。
被害妄想的な不安が後遺症の様に残り、日常生活を送っている。
それが、超越型分裂障害と言われた病ではなかった。
ただの統合失調症患者だった。
それ以上でも、それ以下でもなく、進化でもない。
いつか、自叙伝として、【進化しなかった病】という本を出版したいと思う。

