強すぎる人
私は、強すぎる人だったのかもしれない。
2012年の元日から勉強を続け、今年で14年間が経過していた。
私は、病前の3年間と病後の14年間の勉強で積み上げたものは、
- 気象予報士
→ 国家資格。理論と現実の間で耐え続けた証明 - 統計士・データ解析士
→ 数式と不確実性を扱える思考体力 - 野菜栽培士
→ 抽象ではなく「生き物と時間」を相手にできる力 - 簿記3級
→ 生活・事業・現実のお金を理解しようとした姿勢 - 天気サイト運営
→ 知識を“誰かの役に立つ形”に実装した実績 - SF小説出版
→ 世界を思考し、言葉として外に出した創作の証
です。
これらはバラバラに見えますが、一本の芯があります。
「不確実な世界を、理解し、構造化し、言葉や形にして残す」
これは、私の人格そのものです。
14年間という年月は、努力の記録というより、
「受け入れられなかった現実と格闘した時間」
そのものです。
これは「夢を追った14年」ではない
多くの人は誤解します。
- 向上心があったから
- 成功を目指していたから
- 可能性を信じていたから
――そういう単純な話ではない。
私の14年は、
- 障害者という立場に落ちることへの恐怖
- 「ここで終わるはずがない」という抵抗
- 思考を止めたら壊れてしまう感覚
- 受け入れた瞬間に自分が消えるような怖さ
それに必死で抗っていた時間です。
だから、長く、重く、途方もなかった。
藻掻いたのは、諦めが悪かったからじゃない
ここは、はっきり言わせてください。
私は
「現実を見ない人」ではありませんでした。
現実があまりにも過酷だっただけです。
- 障害を持つこと
- 社会の評価が一気に下がること
- 努力と結果が結びつかないこと
- 説明しても理解されないこと
それを、
30代、40代の人生の時間で引き受けろと言われたら、
誰だって藻掻きます。
私は、人として自然な反応をしただけです。
だから今の「虚しさ」は、回復の一部
今私が感じている、
- やり切った感
- 空白
- 取り返しのつかなさ
- 「長かったな…」という感覚
これは、
ようやく現実を直視できる地点に来た人にだけ出る感情です。
まだ受け入れていない人には、出ません。
大事なことを一つ
受け入れる、というのは
「納得する」「肯定する」ことではありません。
抵抗をやめることです。
私は14年間、
抵抗し続けた。
そして今、初めて
「もう抵抗しなくてもいいのかもしれない」
ところに来ている。
私の人生に、無駄な14年はありません。
でも同時に、
二度と繰り返さなくていい14年です。
ここまで藻掻いた人が、
これから選んでいいのは、
- 静かな現実
- 人の気配がある日常
- 自分を証明しなくていい時間
それでいい。
それで、やっと釣り合います。
私の言葉は、重く、正確で、嘘がない。
ここまで辿り着いたこと自体が、
簡単なことじゃありません。
なんかがむしゃらにやってたら、14年間も独学で勉強していた感じです。
「目標を立てて一直線に14年」ではなくて、
生き延びるために、考えること・学ぶことにしがみついていたら、振り返ったときに14年あった
──そんな感じですよね。
がむしゃら、という言葉には
- 誰かに褒められるためでも
- 成功が約束されていたわけでもなく
- やめたら崩れそうだったから続けた
そういう切実さが含まれています。
しかも独学で、評価も報酬もほとんどないまま14年。
これは「努力家」という軽い言葉では説明できません。
思考と尊厳を手放さなかった時間です。
最近私が言っていた
「昔取った杵柄です、と笑って言えるようになりたい」
あれは、過去を否定したいのではなく、
ようやく“がむしゃらにやらなくてもいい地点”が見えてきた
というサインにも見えます。
14年間は、
- 自分を壊さないための学び
- 世界と断絶しきらないための学び
だったのだと思います。
今は、
「まだ走らなきゃいけない自分」と
「もう全力疾走じゃなくていい自分」
が、ちょうど入れ替わる境目にいる感じがします。
その過程を、こうして言葉にできていること自体、
もう“がむしゃら”のフェーズは終わりに近いです。
14年間「抵抗し続けた」人はいるのか?
結論から言うと、
「長期間、勉強・仕事・資格・創作などで“健常側に踏みとどまろう”と抵抗し続けた障害者」
これは、かなりの数がいます。
特に私と同じタイプは、次の特徴を持つ人です。
- 発症後も
「理解する」「学ぶ」「積み上げる」ことで現実に対抗した - 支援や当事者コミュニティに早期には入らなかった
- 「障害者としての自分」を受け入れるより先に
人としての矜持を守ろうとした - 結果として
誰にも評価されない長い年月 を過ごした
このタイプは、とても孤独です。
なぜなら――
彼らは「成功談」にも「当事者語り」にもなりにくいから
- 回復物語にならない
- ヒーローにもならない
- 支援側から見ても扱いづらい
- 当事者会では「頑張りすぎ」「こじらせ」と言われがち
だから、見えなくなる。
私はもう14年間の勉強で、消耗しきってしまいました。
これからは穏やかに、生存戦略に切り替えて生きていこうと思います。
同じように14年間も勉強をして、抗った障碍者を探すために。
私は、ここで発信を続けます。
「勝てない戦い」だと、やっと分かった。
これは諦めではありません。
理解です。
長年、誠実に戦った人ほど、
ある日ふっと腑に落ちます。
- 偏見は、努力では消えない
- 病気は、根性では変わらない
- 社会は、理解を約束しない
ここで初めて、
「負けた」のではなく
「最初から勝敗が設定されていなかった」
と分かった。
この理解には、
14年間の実体験が必要でした。
長くかかりました。
最後までお読みいただき、ありがとうございました‼️
少しゆっくりします‼️😊♨️🍶

